DIARY
写メ日記
最新の写メ日記
今日、初めて女風バーに出勤します
楽しみな気持ちもありつつ少し緊張してます💦
初めての場所、初めて出会う人。
どんな一日になるのかまだ全然想像できないけど、せっかくなら一緒に楽しい時間を過ごせたらいいなと思ってます☺️
普段から人と話すことは大好きなので、
「ちょっと気になる」
「一回話してみたい」
くらいの軽い気持ちで会いに来てもらえたら嬉しいです。
写真やプロフィールだけでは分からない部分もたくさんあると思うので、実際に話して僕のことを知ってもらいたいな
素敵な出会いがありますように。
詳細URL
よろしくお願いします☺️

はじめまして😊
京(きょう)です。
今日から写メ日記も少しずつ更新していこうと思います。
最初なので、少しだけ自己紹介を。
普段から人と接する仕事をしていることもあって、
人と話すことや、その人のことを少しずつ知っていく時間が好きです。
こういう場所って、初めて会うまでは
「どんな人なんだろう?」
「緊張するな…」
って、少し不安もありますよね。
だからこそ、実際に会ったときに
「京って思ってたより話しやすい☺️」
って安心してもらえるようなセラピストでいたいと思っています。
一緒にいる時間は、
たくさん笑ってもいいし、
ゆっくり甘えてもらってもいい。
普段頑張っていることを少しだけ忘れて、
肩の力を抜いて過ごしてもらえたら嬉しいです。
そして帰る頃に、
「今日、京に会ってよかったな」
って思ってもらえるような時間をつくりたい。
まだ僕のことを知らない方がほとんどだと思うので、
これから日常のこと、好きなこと、ちょっとプライベートなことも
ここで少しずつ書いていきますね☺️
まずは、はじめましてのご挨拶でした。
京という名前だけでも覚えて帰ってもらえたら嬉しいです。

これからよろしくお願いします🙏
人間とは何だろう。
そんな問いを考えたことはあるだろうか。
私たちはあまりにも「人間」であることが当たり前すぎて、その特異性について考える機会は少ない。
だが、生物学という視点から地球を見渡した時、人間という生命体はあまりにも異質だ。
🐘巨大な象でもない。
🦁鋭い牙を持つライオンでもない。
🦅空を自在に舞う鷲でもない。
腕力も弱い。
足も遅い。
爪も牙もない。
それなのに地球という星の頂点に立っている。
この矛盾の答えは、ただ一つ。
「脳」である。
---
太古の昔。
ある種の霊長類は二足歩行を選んだ。
両手が自由になり、道具を持てるようになった。
視界は高くなり、遠くを見渡せるようになった。
そして背骨は真っ直ぐになり、巨大な脳を支えられる身体へと進化した。
脳が発達する。
思考が生まれる。
言語が生まれる。
文化が生まれる。
芸術が生まれる。
宗教が生まれる。
哲学が生まれる。
人は「考える」という能力を得た。
地球という惑星を支配する生命体が、ここに誕生したのである。
しかし——
進化とは、何かを得れば何かを失うものだ。
万能な進化など存在しない。
必ず代償がある。
そして人類が払った代償は、あまりにも大きかった。
---
それは「出産」である。
哺乳類のほとんどは、母親の体内で十分に成長し、産まれて間もなく立ち上がる。
🐎馬の子どもは数時間で歩き始める。
🦌鹿も走る。
🦒キリンもすぐ立ち上がる。
そうしなければ肉食動物に食べられてしまうからだ。
自然界には「待ってくれる」優しさなど存在しない。
弱い者から命を落としていく。
だから彼らは、生まれた瞬間から完成形に近い。
一方、人間はどうだろう。
首すら座っていない。
視力もほとんどない。
歩けない。
言葉も話せない。
一人では生きられない。
立ち上がるまで、およそ一年。
自立するまでには十数年。
哺乳類の中でも、ここまで未完成で生まれてくる生き物はほとんど存在しない。
なぜなのか。
理由は単純だ。
胎児の頭が大きすぎる。
もし脳がもっと完成してから生まれようものなら、母親の産道を通れなくなってしまう。
つまり人類は、
「未完成で生まれる」
という進化を選ばざるを得なかったのである。
それは進化ではなく、ある意味では妥協だったのかもしれない。
---
だが、この未完成さこそが、人間という生き物の本質を作った。
赤ん坊は抱かれる。
母親の胸に包まれる。
心臓の鼓動を聞く。
体温を感じる。
母乳を飲む。
泣けば抱き上げられる。
不安になれば胸に寄せられる。
何度も。
何百回も。
何千回も。
そうして一つの感覚が脳に刻まれていく。
「抱かれること=生きられる。」
この記憶は、言葉ではない。
理屈でもない。
もっと深い場所。
脳の奥底。
生命の根幹に刻み込まれる。
だからハグは単なるスキンシップではない。
命の記憶なのだ。
---
心理学では、人は安心できる相手との身体的接触によってストレスが軽減されることが知られている。
愛情や信頼を感じる触れ合いは、副交感神経を優位にし、心拍数やストレス反応を穏やかにする。
さらに、親密な触れ合いでは「オキシトシン」と呼ばれるホルモンの分泌が促される。
別名、
「愛情ホルモン」
とも呼ばれる物質だ。
不安を和らげ、
相手への信頼を高め、
孤独感を軽減する。
つまりハグとは、
医学でも心理学でも、その価値が認められている行為なのである。
---
しかし、ここで一つ勘違いしてはいけない。
「じゃあ誰でもハグすれば幸せになれるの?」
答えは、もちろん違う。
人間は思考する生き物だ。
だから「安心」は相手によって決まる。
信用していない人。
恐怖を感じる人。
苦手な人。
そうした相手から抱きしめられても、安心どころかストレスになる。
ハグは距離を縮める行為ではない。
距離が縮まった結果として生まれる行為なのである。
ここを履き違えると、ハグは愛情ではなく支配になる。
---
そして、日本には欧米ほどハグ文化がない。
欧米では挨拶代わりに抱き合う。
家族も友人も恋人も自然にハグを交わす。
一方、日本人は頭を下げる。
お辞儀という文化を育んだ。
どちらが正しいという話ではない。
文化が違うだけだ。
だからこそ、日本人にとってのハグは特別になる。
滅多にしないからこそ、
その一回に込められる意味が深い。
言葉以上の想いが伝わる。
「大丈夫。」
「そばにいる。」
「一人じゃない。」
そんな言葉にならないメッセージを、身体が語る。
---
哲学者は昔からこう語ってきた。
人は理性だけで生きているのではない。
感情があり、
本能があり、
記憶がある。
そして身体にも記憶が宿る。
赤ん坊の頃、何千回と抱かれた記憶。
守られた記憶。
生き延びられた記憶。
その記憶は、大人になった今も消えてはいない。
だから人生に疲れた時。
心が折れそうな時。
誰かに認められたいと思う時。
人は無意識に温もりを求める。
それは弱さではない。
人間らしさだ。
---
私は思う。
人類最大の発明は、火でもない。
車でもない。
インターネットでもない。
それらは生活を便利にした。
しかし、
心を救うことはできない。
本当に人を救うのは、
たった一つの温もりなのかもしれない。
たった数秒のハグで、人は涙を流すことがある。
言葉では届かなかった想いが、腕の中で伝わることがある。
それほどまでに、人間という生き物は「触れる」という行為に意味を与えてきた。
---
人生とは、不思議なものだ。
私たちは大人になるほど、強くあろうとする。
泣かないように。
弱音を吐かないように。
迷惑をかけないように。
そんな鎧を一枚、また一枚と身に纏っていく。
けれど、その鎧の奥にいるのは、かつて母親の腕の中で安心して眠っていた、小さな命と何も変わらない。
社会的地位があろうと、財産があろうと、肩書きがあろうと、人は最後には「安心できる場所」を求める。
その場所は豪邸ではない。
高級車でもない。
ブランド品でもない。
信頼できる誰かの温もりかもしれない。
だから私は思う。
ハグとは、愛情表現ではない。
恋愛テクニックでもない。
ましてや流行でもない。
人類が進化の過程で失った「完成された状態」を、互いの温もりで補い合う営みなのではないだろうか。
未完成で生まれた私たちは、誰かと寄り添うことで初めて心が満たされる。
進化は私たちに巨大な脳を与えた。
その代わりに、不安という感情も与えた。
だからこそ、人は抱きしめる。
それは相手を守るためだけではない。
自分自身もまた、安心したい生き物だからだ。
毎日段々と蒸し暑さを感じる。
しかも台風やらの影響でずーっと雨、場所によっては被害が出る程の大雨。。
気温はさほど上がってないのに、妙に身体が重い。
朝起きてもスッキリしないし、なんだかやる気も出ない。
そして低気圧からの偏頭痛が酷い。。
「今日は暑いなぁ」
そう思って天気予報を見ると、気温はまだ25度程度。
真夏の35度に比べれば全然大したことはない。
それなのに、なぜこんなにも不快なのだろう。
その不快さをもたらすもの、
お分かりの様に「湿度」だ。
しかし、人間の身体は約70%が水分でできていると言われている。
だったら乾燥している空気より、湿度たっぷりの環境の方が身体には優しい気もする。
だが現実は逆だ。
湿度は人をダメにする。
いや、人をダメにするというより、人の快適さを奪う。
そして快適さを失った人間は、驚くほど簡単に心まで曇らせてしまう。
☔
人間は体温を下げるために汗をかく。
汗が蒸発する時に熱を奪い、身体を冷やしてくれる。
しかし湿度が高いと汗が蒸発しにくい。
つまり身体が一生懸命頑張っているのに、その努力が報われない。
これはどこか人生にも似ている。
頑張っている。
努力もしている。
動いている。
でも結果が出ない。
そんな時、人は疲れる。
湿度の高い空気の中で汗が蒸発できないように、人間もまた成果へ繋がらない努力を続けると心が重くなる。
身体も人生も案外同じなのかもしれない。
🌿
梅雨の朝。
起きた瞬間から布団が少し湿っぽい。
髪は決まらない。
洗濯物は乾かない。
靴もなんとなくジメジメしている。
冷蔵庫を開ける回数だけ増える。
別に何か飲みたい訳ではない。
ただ涼しさを求めているだけだ。
あるやん?
冷蔵庫を開けて、
「あれ?何取りに来たんやっけ」
となるやつ。
湿度の高い日は脳まで少しボンヤリする。
集中力が切れる
人は暑さには比較的強いと言われる。
だが蒸し暑さには弱い。
同じ30度でも砂漠の30度と大阪の30度はまるで別物だろう。
数字では測れない感覚がある。
人生も同じだ。
同じ年収。
同じ肩書き。
同じ年齢。
それでも幸福度は全く違う。
数字では見えない湿度のようなものが存在する。
目には見えないが確かにあるもの。
人間関係もそうだ。
🌱
誰かと一緒にいて疲れる時がある。
その人が悪い人ではない。
むしろ良い人だったりする。
それなのに会った後どっと疲れる。
逆に短時間しか会っていないのに元気になる人もいる。
これも人間関係の湿度なのだと思う。
必要以上に気を遣う空間。
言いたいことが言えない関係。
本音を隠し続ける会話。
そんな場所には湿度がある。
息苦しい。
汗が蒸発しないように感情も蒸発しない。
どんどん心に溜まっていく。
だから人は時々、一人になりたくなる。
乾いた風に当たりたくなる。
無理に誰かを嫌いになる必要はない。
ただ少し距離を置けばいい。
窓を開けるように。
風を通すように。
それだけで楽になることもある。
🍃
面白いことに、人間は快適な時ほど感謝を忘れる。
湿度40%の日。
風が気持ちいい夜。
洗濯物がカラッと乾く朝。
そんな日は特別何も思わない。
当たり前だと思っている。
しかし梅雨に入ると途端に気付く。
あの爽やかな日がどれだけ有難かったのかを。
失って初めて分かる価値というのは本当に多い。
健康もそう。
若さもそう。
家族もそう。
自由もそう。
そして平凡な日常もそうだ。
何もない日は退屈に思える。
だが本当に何かを失った時、人は気付く。
何もないということが、実は最高に贅沢だったことを。
だから言うのだろう、
「推しは推せるうちに推しとけ」と
貴女のすきぴも、明日は急に別世界の人になるかもしれないから
🌙
湿度が高い夜は眠りも浅くなる。
エアコンをつけるか迷う。
つけたら寒い。
消したら暑い。
結局何度も目が覚める。
人生も似ている。
どちらを選んでも完璧な答えはない。
結婚もそうだろう。
転職もそうだろう。
挑戦もそうだろう。
進んでも悩む。
止まっても悩む。
だったら少しでも心地良い方を選べばいい。
正解を探し続けるより、自分にとって快適な温度を探す方が大切なのかもしれない。
寝ぼけてエアコン付けたら暖房を押してしまってて本当に死ぬかと思った経験があるから適度な温度は寝るまでにね😇
☀️
湿度は人をダメにする。
しかし湿度そのものが悪者なのではない。
湿度があるからこそ、乾いた風の有り難さが分かる。
梅雨があるから夏空が美しい。
曇りがあるから晴れが嬉しい。
人生もまた同じだ。
苦しい時期がある。
停滞する時期がある。
思うようにいかない日もある。
だが、その時期があるからこそ後の景色が鮮やかになる。
もし今、少し気持ちが重いなら。
もし何となくやる気が出ないなら。
それはあなたが弱いのではない。
ただ人生の湿度が少し高いだけかもしれない。
そんな日は無理に走らなくていい。
窓を開けよう。
好きな音楽を流そう。
少し遠回りして帰ろう。
美味しいコーヒーでも飲もう。
そして風を待てばいい。
どんな梅雨にも終わりがあるように。
どんな人生にも、また乾いた風が吹く日が来るのだから。
なんなら死んじゃったら火葬場で焼いてもろてカラッカラの骨だけになるのだから💀💀
それまでは湿度を感じるのも、これも生きているんよ、となんか美味しいものでも食べれば良い🫶
ボールひとつで世界が熱狂する。
ワールドカップという祭典には、そんな不思議な力がある。
普段はサッカーを観ない人間ですらテレビの前に座り、日本代表の勝敗に一喜一憂する。
うちのおかんですら、久保くん、怪我大丈夫かなぁと心配すらしていた🥹
先日行われた日本対オランダ戦。
グループリーグの中では唯一の格上とも言える相手。
前半は堪えたが、後半やはり高さで先制される。
そして追いつく。
また突き放される。
それでも追いつく。
そして負けなかった。
もちろん勝点1という結果だけを見れば物足りないという人もいるだろう。
だが私には、日本サッカーが着実に強くなっている証拠に見えた。
かつてなら格上相手に先制された瞬間にズルズルと崩れていた。
しかし今は違う。(4年前もドイツ、スペインにはびっくりした)
失点しても慌てない。
崩れない。
組織として戦い続ける。
これが強さなのだと思う。
⚽️⚽️⚽️
サッカーという競技は実に面白い。
極論を言えば、相手より多くゴールを決めれば勝ち。
ルールは様々あるが、本質だけ切り取ればそれだけだ。
しかし、そのシンプルさの中に底知れない奥深さがある。
ピッチ上には常にスペースが存在する。
攻撃する時はいかにスペースを作るか。
守る時はいかにスペースを消すか。
つまりサッカーとは陣取り合戦なのだ。
誰がどこへ走るのか。
誰がどこを埋めるのか。
誰が相手を引きつけるのか。
誰が裏へ抜けるのか。
それらが一瞬で判断される。
そこには個人技だけではない。
組織としての意思がある。
そして私はいつも思う。
この構図は仕事によく似ている、と。
🏢
例えば会社。
営業マンが外を走り回る。
新規顧客を開拓し、売上を作る。
それだけでは会社は回らない。
事務員が契約書を作る。
経理が数字を管理する。
現場スタッフが品質を守る。
管理職が方向性を示す。
誰かひとり欠けても組織は機能しない。
営業だけいてもダメ。
内勤だけいてもダメ。
現場だけいてもダメ。
それぞれが役割を果たしながら連動して初めて結果になる。
まるでサッカーだ。
フォワードだけ11人いても試合にはならない。
ディフェンダーだけ11人いても点は取れない。
全員が役割を理解し、連動するから強いチームになる。
仕事も同じだ。
🌱
世の中には能力の高い人間がいる。
突出した営業成績を叩き出す人。
驚くほど仕事の速い人。
アイデアを次々に生み出す人。
そんな人を見ると、自分との違いに落ち込む事もある。
だが組織というものはスター選手だけで構成されているわけではない。
むしろ地味な仕事をコツコツこなす人によって支えられている。
サッカーでも派手なのはゴールシーンだ。
だがその前には必ず地味なパス回しがある。
身体を張った守備がある。
走り続ける選手がいる。
目立たない仕事の積み重ねがある。
ゴールだけ切り取ればヒーローは一人かもしれない。
だがそのゴールはチーム全員で生み出している。
仕事も同じだ。
成果だけ見れば一人の手柄に見える。
しかし本当は違う。
見えないところで支えてくれた人がいる。
フォローしてくれた人がいる。
ミスを防いでくれた人がいる。
だから結果が生まれる。
🤝
私は年齢を重ねるにつれ、
「自分が活躍する事」
よりも
「周囲が活躍できる環境を作る事」
の価値を感じるようになった。
若い頃は違った。
自分が目立ちたい。
自分が評価されたい。
自分が勝ちたい。
そんな気持ちも強かった。
もちろんそれも大切だ。
向上心は人を成長させる。
だが組織というものを理解すると、少し見方が変わる。
誰かがミスしたならカバーに入る。
誰かが苦しんでいるなら助ける。
誰かが攻めているなら後ろを支える。
これが強い組織だ。
サッカーではそれを「カバーリング」と呼ぶ。
仕事にもカバーリングが必要だ。
ミスを責めるだけの組織は弱い。
助け合う組織は強い。
🌏
そしてサッカーが面白いのは攻守が目まぐるしく入れ替わる事だ。
攻撃していたと思ったら次の瞬間には守備。
守備していたと思ったら次の瞬間には攻撃。
一秒前の正解が次の瞬間には不正解になる。
だから面白い。
人生も同じだ。
仕事も同じだ。
攻め続けるだけでは破綻する。
守り続けるだけでは衰退する。
売上を追うだけでは社員が疲弊する。
社員を守るだけでは利益が出ない。
バランスが必要なのだ。
攻める勇気。
守る知恵。
その両方が必要になる。
⚖️
最近は働き方改革だとかワークライフバランスだとか色々言われる。
もちろん大切な事だと思う。
だが一方で少し気になる事もある。
「頑張らない事」が正義のように語られる風潮だ。
楽をする事。
責任を避ける事。
最低限だけやる事。
それ自体を否定するつもりはない。
だが人間は本来、
何かに本気で取り組んだ時にこそ充実感を得る生き物だと私は思う。
サッカー選手が90分走り切った後の表情。
あれは疲労だけではない。
やり切った者だけが持つ顔だ。
仕事も同じではないだろうか。
全力でやった日。
知恵を絞った日。
誰かの役に立てた日。
そんな日のビールはうまい🍺
そんな日の風呂は気持ち良い♨️
そんな日の睡眠は深い😴
それはお金では買えない満足感だ。
🔥
組織の中には必ず温度差がある。
頑張る人。
頑張らない人。
文句だけ言う人。
行動する人。
これはどこの会社にもいる。
だが強い組織というのは、不思議と頑張る人が増えていく。
なぜか。
頑張る姿が伝染するからだ。
全力で走る選手がいると周りも走る。
声を出す選手がいると周りも声を出す。
本気は伝染する。
逆もまた然り。
怠慢も伝染する。
だからこそ、自分がどちら側に立つのかが重要なのだ。
📖
ワールドカップを観ながらそんな事を考えてしまう私は、やはりおっさんなのだろう。
純粋に試合だけ楽しめばいいのに、
仕事に置き換え、
人生に置き換え、
組織論に置き換え、
哲学めいた事を考えてしまう。
だが歳を重ねるというのは、そういう事なのかもしれない。
スポーツの中に人生を見る。
勝敗の中に人間を見る。
そして自分自身を見る。
⚽️
ボールひとつで世界は繋がる。
そしてそのボールひとつが、私達に大切な事を教えてくれる。
ひとりでは勝てない。
だが、ひとりひとりが役割を果たせば強くなれる。
それはサッカーも仕事も人生も同じだ。
だから明日もまた、自分の持ち場で走ろう。
派手なゴールを決められなくてもいい。
誰かを支えるパスでもいい。
ピンチを防ぐ守備でもいい。
大切なのは、チームの一員として役割を果たす事。
仕事というピッチ上で、愚痴をこぼしながら、ダラダラと歩いていてもそれはむしろ勿体ない事である
そしてワールドカップもまだまだ始まったばかりである🔥
余談ではあるが、
私の友人はとあるヴィセル神戸の選手と友達だと言っていた。
以前そのヴィセル神戸に、元スペイン代表のイニエスタ選手が移籍した
なので私の友達の友達の友達はイニエスタなのである😀
更にいうとイニエスタはバルセロナの選手でメッシと共にチームメイトだったので、、
私の友達の友達の友達の友達はメッシなのである🐤
人はそれぞれ何かに向かって進んでいく
それが目標というものか、自身のモチベーションを上げるものなのかは別として
特に自分の意思で熱量をコントロールできる仕事なら自分の進むペースは自分で決めれる
東京のとあるところに熱量をしっかり持った輩が居た。
彼は今どきの朝活というのをしっかりやっており本業の前にジムなんかに通い、その溢れんばかりの熱量と漢気溢れるキャラを全面にこちらへ知らしめてくれていた。
私からすれば「超健康体」をそのまま出した様なイメージで、接点はまぁ無いだろうなと思っていた。
そんな超健康体が何やら本業の移動で名古屋から大阪をチョロチョロするようになった。
そして、とある日の弊社のミーティング時
指定された場所に行くとその健康的はデカい片幅と共に似合わないパイプ椅子に座っていた。
軽く笑顔で初めましての挨拶は交わし、少し会話はしたけれどそこはミーティングの場だったのと
次の日、その超健康は本業が朝早く早朝には起床しないとダメとの事で途中で席を外して笑顔で去っていった
私が超健康を見たのはそれが最初で最後になろうとは
「ココロザシナカバ、、、、」
それは急に知らされた事実
彼に限らず、何かこの世界で頑張ろうとしている輩達とは色々話したくなる。
何故この世界へやってきたのか?
どんな思いを背負っているのか?
おっぱい星人なのか、お尻フェチなのか?
しかしその超健康体は
また今度色々お話ししましょう!という豪快な笑顔だけを私の記憶に残し
この世界を去る事となった
弊社の OSAKAメンバーはまぁまぁな社会不適合者の集まりなもので
私からしたら東京からやってきた超健康体がすこぶる健全に見えてしまってはいた。
さて、
鎮魂の意味でも込めて
私も朝活でジムに通ってみるか、、
うん、絶対通わないな。。。
元気でな、超健康体
頑張れよ、超健康体
お好み焼きはおかずやで、超健康体

